生活

目白駅まで徒歩約4分、乗り換え時間、最寄駅から大学まで徒歩約5分を加えた通学時間は以下の通りです。

学習院大学 目白 約9分 東京医科歯科大学 御茶ノ水 約28分
立教大学 池袋 約14分 明治大学 御茶ノ水 約28分
東京医科大学 新宿 約18分 上智大学 四ツ谷 約29分
早稲田大学 早稲田 約23分 慶應義塾大学 信濃町 約30分
大正大学 西巣鴨 約26分 日本医科大学 千駄木 約32分
帝京大学 十条 約26分 慶應義塾大学 三田 約35分
東京大学 本郷三丁目 約26分 明治学院大学 白金台 約37分
武蔵大学 江古田 約26分 星薬科大学 戸越銀座 約40分
東京理科大学 飯田橋 約27分 昭和大学 旗の台 約43分
日本歯科大学 飯田橋 約27分 東京工業大学 大岡山 約43分
法政大学 飯田橋 約27分 東京慈恵会医科大学 御成門 約43分
順天堂大学 御茶ノ水 約28分

目白という街は、学習院や日本女子大学など学生が多いところです。とはいえ、駅から少し離れると閑静な住宅街が広がり、落ち着いた雰囲気が特徴です。その理由は、山手線の駅としてはめずらしく、地下鉄や私鉄の乗り入れがないからなのです。このため乗降客数がさほど多くなく、街は昔ながらの東京山の手の雰囲気を保っています。
駅から文篤館までは徒歩約4分。周辺には生活に必要な施設や新しいお店が揃っています。
目白駅からは2,3分おきに山手線が発着していますから、お部屋から主要駅までの所要時間は以下の通りです。

● 池袋駅まで 約6分
● 新宿駅まで 約10分
● 渋谷駅まで 約17分

地図

お食事
文篤館では平日の夕食をサービスしています。勉学を志す方々が健康でゆとりのある状態であることを願って、栄養面に配慮した手作りのお食事をご用意します。

「メニュー例」
● すきやき、胡瓜と若布の和え物、焼さつま揚げ、吸物、果物
● 帆立グラタン、煮魚、シーザーサラダ、みそ汁、ケーキ
風邪など体調を崩された場合には、特別にお粥をご用意するなど致しております。

常住管理
常住の管理体制により、十分な気配りをさせていただきます。日常、宅配便の取次ぎなど共同住宅の管理業務はもちろん、個々人の健康管理や生活上の相談など、有形無形のサービスを誠心誠意ご提供しています。

提携医師
急病の場合など、提携医師と連携して緊急対応をいたします。

館内規則
入館者の皆さんが快適に生活できるよう、緩やかですが館内規則を設けています。自律して共同生活を行なうためのルールです。守れない場合、他の方へのご迷惑となりますので、誠に遺憾ですが退館していただくこともございます。

文篤館OB諸氏より

文篤館に入館し、数年間を過ごされた先輩たちから、多くのメッセージが寄せられています。

文篤館ノススメ

文篤館第1期生 岡本 登

 今後始まる東京での学生生活に対する期待に夢ふくらませておられる皆さんに、ひとこと自分の拙い経験をお伝え致します。
 さて、皆さんは学生生活に何を期待されるでしょうか。勉学、スポーツ、恋愛・・・。人それぞれでしょう。振り返りますと、私の場合、楽しく有意義な学生生活を送ることができたとすれば、それは、毎日きちんとした食事を準備され、体調が崩れれば、まるで実の親のように面倒を見て下さる文篤館の館長さんをはじめとするスタッフの皆さんの真心が陰で我々入館生の学生生活を支えて下さったお蔭であるという気がします。
 いまどき学生会館や学生寮は野暮ったいという考え方もあるでしょう。しかしながら、まさに「同じ釜の飯を食う」というのは貴重な体験であり、良くも悪くも、文篤館での同期や後輩は忘れえぬ生涯の友となります。なお、文篤館は十分にプライバシーが守られるため、一人暮らしと寮生活の両方のメリットを享受できることも付け加えておきます。
 21世紀に入り、選択の自由が広まる一方で、自己責任が問われる時代になりつつあります。上記は、かつて十数年前に一学生であった者の回想に過ぎませんが、これから有意義な学生生活のベースキャンプをお探しの方々のご参考になれば幸甚です。

安心な文篤館

株式会社日立製作所 佐藤貴彦

 文篤館は、周辺の治安も良く、食事付きでしかも体質上苦手なメニューは個人にあわせて変更してくださるなど、安心して暮らせる学生会館であったが、一番印象的だったのは、常日頃から館長さんをはじめとするスタッフの方々と親しくさせていただくことができたため、いざというときに非常に安心であったということである。
 実際、例えば徹夜のマーいや、化学実験が原因で風邪をひき、夜中に高熱が出たとき、ふつうなら独りでウンウン唸って夜を明かすところであるが、スタッフの方々が真夜中に病院に連れて行ってくださったり、おかゆを作ってくださったりしたこともある。
 「安心こそ一番大切」 ――これぞ上京してひとり暮しを始める人々への私からのしみじみとしたメッセージである。

文篤館での交流は人生の宝

公認会計士 山本尚平

 私が文篤館で生活したのは大学に通うために東京に出てきた初めの1年10ヶ月でした。
 文篤館での生活で良かった点は、他大学の異なる年齢の方々と交流が持てたことでした。
 反対に私が1年と10ヶ月という中途半端な年次で退館したのは、自分の生活スタイルと文篤館の生活が合わなくなったためです。具体的には、クラブ活動中心の生活となり、外で毎日食事を取って帰ってくるため、文篤館での食事がほとんど食べられなくなってしまったためです。(当時はテニスばかりしている生活でした。)
 しかし、短いながらも文篤館という安心できる場所で東京での生活をスタートできたことは、東京という一歩間違うと道を踏み外してしまいそうな場所での生活に大きな影響を与えました。現在でも文篤館で生活した方との交流は自分の人生の宝となっております。

夢に向かって

宝塚歌劇団 川上正和

 ただ夢に向かって生活していた文篤館時代。舞台を観続け、唄と踊りのレッスンに通った・・・。大学? 行ったけど学食が主だった様な・・・。
“可”と“不可”ばかりの成績表に一人の教授が一つだけ“優”をくれた。提出したレポートを「まとまりは無いが着眼点が面白く興味深い」と評してくれた。人生そうありたいと、いまだに夢を追っている。
でも、あの頃になら親不孝だけど思います。「戻ってみたい」と!

文篤館での思い出

文篤館OB 木ノ村 亮

 私は、大学3年次までの3年間、文篤館でお世話になりました。
 文篤館では、多数の他大学の学生と親睦を深めることができ、この時に出会えた友人は、私にとりまして一生の財産になっています。また、管理人の方々には困った時にいつも快く相談に乗って戴きました。
 文篤館は目白という閑静な住宅地にあるので、落ち着いた環境の中で生活できます。
楽しく充実した学生生活を実現できたのは、住み心地が最高の当会館のおかげであると感謝しております。

文篤館を振り返って

文篤館OB 木村純一

 僕は97年の一年間だけ文篤館にお世話になりました。横浜出身の僕は浪人時代に都内の予備校に通うために住まいを探していたのですが、母の勧めで文篤館に入館いたしました。しかし、比較的自由に生きてきた僕にとっては、学生寮というものは規則で色々と面倒臭い所なのだろうなと思っていましたが、そのような事は全然ありませんでした。寮というよりは生活に必要なものが全て揃っているマンションのようでした。都内の便利な場所にありながら、非常に静かで学生生活を送るにあたって最高の場所でした。
 他の寮生の皆さんも非常に愉快な人達で、同年代で同じ浪人生活を送る友達とは共に勉学に励み、優秀な先輩にはわからないことを教わり、大変お世話になりました。年齢や生まれは違いますが、色々な方向性を持った一生付き合っていけると思える多くの人達と知り合い、友達になれたことは、本当に貴重な体験だったと思います。
 館長さんをはじめ、舟橋家の方々にも大変良くしていただきました。よく皆でご自宅の方に遊びに行かせてもらっていましたし、退館した今でもOBの皆で遊びに行くほどのお付き合いができるような気さくな方達でした。今は、無事に大学進学を果たしましたが、文篤館でしか得られない沢山の形にできないものを戴き、文篤館で一年を過ごせて本当に良かったと思います。

生活の危機管理を

文篤館入館生

 最近、至るところで「危機管理」という言葉を耳にする。個人の生活においても然りで、乱れた生活は危険を招きやすく、生活の基盤を整えることはリスク回避の最良の手段である。
思うに、危険の多い東京での生活を始めるにあたり、文篤館は「生活の危機管理」の一助となるのではないか。学生会館という性格上、共同生活における約束事は存在し、それを疎ましく感じる人もいるだろう。しかし、それも生活における安心を得るためのものだと考えることもできると思う。
 さて、難いことをつらつらと述べてみたが、私の文篤館での生活を振り返れば、生活の中で特にうるさく言われたという記憶はない。私にとって文篤館は居心地のよい場所である。これは文篤館を取り巻く環境やスタッフの方々等のあらゆるものが安心して生活できる環境を提供して下さっているからであろう。居心地が良すぎるため、長い下宿生活になっていることが、私の現在の悩みになっているのだが・・・(笑)。

文篤館という故郷

昭和63年〜平成9年 在館 松浦幹太

 故郷のある人は幸せだといいます。私が大学・大学院生時代の9年間を過ごした文篤館は、まさに私の第2の故郷であり、ふと思い出すだけで心が安らぎます。 生まれ育った故郷を離れて学生生活を始めると、誰でも大なり小なり不安を覚えます。そんな時、当たり前のような「家族の会話」があれば、どれほど助けになるかしれません。「ただいま。」「お帰りなさい。寒くなかった?」というやり取りがあるだけで、すぐに身も心も温まります。文篤館での生活は、そのようなごく自然なものであり、それがこの上ない幸せであったと思います。
 私は、大学院で学位を取得するまで在館しました。ですから、物事をひたすら勉強して吸収する時期だけでなく、人生で最初の大きな研究に取り組んで成長する大切な時期を過ごしました。自然な日常生活が大切な「成長期」を支えてくれたことに対して、いくら感謝してもし過ぎとは言えぬほどです。何しろ夢中になると歯止めがきかない時期でもありますから、つい無理をして体調を壊したこともあります。青い顔をして病院を紹介していただいたことも、今となっては懐かしく振り返ることのできる思い出の一頁です。人間、いつも甘えていては成長できないのかもしれませんが、甘えることもできるという安心感は、やはり成長の基盤になると思います。
 勉学の一方で、陸上競技で中長距離選手でもある私は、文篤館のある下落合周辺を自分の脚でよく走り回りました。目白駅に近い便利な場所であるにも拘わらず、驚くほど閑静な町並みで、汗をかくのが実に心地よい環境でした。公園には小さな水の流れがあり、季節になればカルガモの親子とも出会いました。彼らを眺めながら体操をすると、疲れも一瞬にしてとれたものです。忙しくてグラウンドでの練習ができない日でも、特に競技会直前の調整の時期には、かえって上手く疲労をとることができ、集中力も高まったことを覚えています。
 この文章を書いているだけで、幸せな気持ちになりました。私にとって文篤館と下落合周辺は、そういう存在です。

ご父兄からのお言葉

お二人のご子息が入館された大阪大学 名誉教授 松浦 虔士様から、文篤館に対するお言葉を頂戴しました。謹んでご紹介させていただきます。

若者が東京という大都会に魅力をもつのは、そこに何か大きい可能性が見いだせそうな活力を感じるからに違いない。だからこそ、この大都会にある日本有数の大学で学問やスポーツに励み、青春を謳歌したいと夢見る高校生が跡を絶たないのであろう。三歳違いの長男と次男も、それぞれ大阪と京都の高校在学中に、そのような東京での大学生活を頭に描いていたようである。
ところで、息子たちの夢が現実となった場合には、親元を離れた学生用宿舎での生活が余儀なくされる。目指す大学に合格できるか否かはわからないが、親としては前年の秋頃までに、この宿舎問題に目途をつけておきたかった。宿舎に関する希望は、次のようなものであった。
(1) 安全な場所で交通の便がよいこと。
(2) 自立性が培え、自己責任が問われる生活の場であること。
(3) 何か励みになるものが肌で感じられる環境であること。
そんな時、取り寄せた大学新聞で「舟橋聖一記念文篤館」の広告が目に入った。上記の(1)は、山手線目白駅から程近い閑静な住宅街、(2)は、ワンルームで朝食が自炊、(3)は、文豪舟橋聖一氏が創作活動に精を出されたお屋敷の一角、ということで満たされている。秋に上京した折に、文篤館を訪ね入館の仮予約をさせていただいた。もう14年も前のことである。
ところで、先日アルバムの整理中に、ふと一枚の写真が目にとまった。息子たちが館生であった当時、館長様から郵送されてきたもので、新入館生の歓迎パーティで館生たちがダイニングルームのテーブルを囲み、楽しそうに談笑している情景が写されている。折に触れ、息子たちの近況が記されていた手紙と一緒にこのような写真も届けていただいた館長様の温かいお心遣いに改めて感謝の念を覚えたものである。


舟橋聖一記念文篤館
東京都新宿区下落合3-17-19
TEL 03-3954-6971